40代軽度知的障害者のつぶやきブログ

このブログは自分だけのブログとして始めましたが、公開することで少しでも同じような方の役に立てればと恥を覚悟で公開することにしました。このブログが同じような障害をもつ人の何らかの役に立ちますように。

天才と私の違い 中編

 

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デイヴィット・ギャレットさんはかなり小さい頃からオ―ケストラと共演したりCDだしたりしていたらしい。

 

学校とかもあまり行かないで家で家庭教師で勉強したりレッスンしたりでざっとだけど、経歴みるとほぼ休みなく教育を受けていたのではと思う。

 

私は子供の頃いじめられたりして学校なんか行きたくなかった。

 

当時の私だったら「学校行かなくていいなんて羨ましいな」なんて思っていたと思う。

 

でも、彼は当時をどう思っていたかな?

 

今は成功して活躍しているから良かったと思っているかも知れないけど、当時は辛かったかも知れない。

 

毎日厳しいレッスンなどで、もし自分がそのような状態だったら堪えられないかもと思った。

 

彼の音楽には常にバイオリンに向かってきたのかと思ってしまうような感じがする。

 

彼の14歳ぐらいの時の演奏をついこの前見つけて聴いたけど、その頃から既に大人のレベル越えてるんじゃない?って思うぐらいの演奏してた。

 

天才で色んなことの学習能力が凄かったというのもあるかも知れない。

 

大人になってからの彼のバイオリンを聴いていると凄く真っ直ぐなんだよね。ブレが無いっていうか・・・

 

体力作りしたりして音に安定性持たせているのもあるかも知れないけど、それとは違う真っ直ぐさを感じるのは私だけかな?

 

それに、彼の音楽は暖かくて優しくて愛を感じるような求めてるような・・・・・

 

そこまで色んなことを感じさせるような音楽は今まで聴いたことなかった。

 

しかも聴くと魂が心から喜んでいるような感じだった。

 

天才と言われる人が、きちんとした教育を徹底的に受けて大人になったらこんなにすごくなるの?って思う。

 

私は親や姉弟に呆れられるほど何も出来なかった。

 

たぶん何かをやらせても出来ないで終わっていたと思う。

 

仕事をしていても失敗ばかりだったし、周りに迷惑掛けまくりでどうしようもなかった。

 

頭が働かず、パソコンの画面が固まってしまうみたいに動けなくなってしまうこともあった。

 

いま思えば知的障害のせいで頭が働かなかったからかも知れない。

 

当時はそれが分からず、周りもサボっているとしか思われなかった。

 

彼と私は本当に正反対だよね(^-^;

 

彼は私が持っていないもののほとんどを持っている。

 

まずは頭の良さ、凄い才能、素晴らしい仕事、素晴らしい両親と兄妹、素晴らしい多くの友人達や仕事仲間、大勢のファン。

それにイケメンだし。

 

私なんてデブでブスだし、学生時代なんか妖怪(怪物?)のあだ名で呼ばれていたよ。

 

今は醜いアヒルの子が白鳥に・・・・・なることはなくデブ、ブスが酷くなった(TT)

 

私には無いものばかりだよ。(^_^;

(でも唯一、心配してくれる友人がひとりだけいるけど)

 

でも、彼が天才というだけではここまで得られなかったよね?

それなりに彼は周りへの気遣いとか、他にも色んな努力をしてきた結果なんだよね?

 

FacebookTwitterなどを見ると彼がいかにファンたちに愛されているか、彼を大切に思っているかが伝わってくる。

 

私はまだ若い頃は勢いでやってきた。

 

とにかく何とか頑張ろうと必死で周りの雰囲気や相手の表情で状況を読んだりするのが出来ないから、とりあえずは自分が嫌だと思うことは決して相手にはやらない。

 

与えられた仕事は頑張ってやる。

出来るだけ相手のことを思って行動するなどを考えながらやってきた。

 

そのうちに、私を何かと助けてくれる人が現れたりするようになった。

 

でもやはり私には無理があり、気づくと周りの人と関わるのが辛くなってきて完全にコミュニケーションがとれなくなってしまった。

 

彼はそれらが自然に出来るし、おそらくあまり苦痛に感じることはないのかも。

 

何故、天才と自分はここまで差があるのかと凄く理不尽に感じる時がある。

 

でも、もし運命がこの人と逆だったらどうなんだ?

私はおそらく彼のようにそれらの幸せを持続出来なかったのではと思う。

私だったら、きっと頭の良さに自惚れてしまい、周りに反感を買ってしまうような人間になっていたかも。

 

彼はそれなりの努力をして周りを大切にしてきたからこそ、世界的有名なバイオリニストになり、その地位を維持できるのだと思った。

 

どんなに仕事で成功していてもいなくても、障害があってもなくても、何かしらの苦労や悩みがあって、それらの苦労とつき合いながら生きていかなくてはいけないのかも知れない。

 

私が知的障害で苦しんできたのも、何か意味があるのかも。

 

例えば、勉強も運動も人より出来ない状態の中で何かを学習するとか、仕事で他の人に助けられることで何かを学ぶみたいな・・・・

あと、家族や友達に恵まれない孤独の中で孤独なりの楽しみを見つけて楽しむとか(^^;)

 

子供の発達障害のことも、きっと何かしら意味があるのかも。

 

後編に続きます。