東日本大震災
もうすぐ東日本大震災があって6年になる。
日本中が大きく揺れたその日、私は買い物をするために外出していた。
買い物を済ませての帰り道で地震に遭遇した。
急に揺れ出して何がおきたか分からず、最初は自分の身体がおかしくなった?そう思った。
でも周りの電信柱とかが激しく揺れているのを見て、地震だと気づいた。
そして、次々に建物や住宅から人々が飛び出してきた。
揺れがおさまり、建物から飛び出してきた人々が建物の中に戻るのを見ながら私も歩き始めた。
少し歩いたところでまた大きな揺れ•••
揺れがおさまってから急いで家に帰った。
部屋の中を確認すると、幸いにもほとんど被害はなかった。
当時は子供達はまだ生まれていなかったので、大した荷物や家具もなかったから。
その後すぐに主人が帰宅して2人でテレビを見ていた。
ヘルメットをかぶったキャスターの人達が一生懸命地震のニュースを伝えていた。
そして、津波が発生したというニュースが流れた。
やがて町が壊滅状態のようなニュースも流れた。
壊滅状態と言われても、正直ピンとこなかった。次の日惨状の映像を見るまで。
私は毎年3月11日が近づくと当時のことを思い出す。
記憶が少し変わっていたりするかもしれないけど、それだけインパクトが強い出来事で、尚且つ小学校の時以来会ってはいないけど、叔母にあたる人が津波に飲まれて亡くなった。
その状況を知ったのは震災から一年近くたって、たまたま叔母の知り合いに会って知った。
新聞で被害者の名前の欄に叔母らしい人の名前があり、気にはなっていた。
連絡先とかが分からず、親とは縁切りしていたため、確認出来なかった。
小学生の時、叔母にも私と年が近い子供がいて、海で一緒に海水浴に行った。
従姉妹と海で遊んで砂浜に戻り、お弁当を広げて食べた。
その時叔母に、おにぎりを貰って食べた。
その記憶が叔母と会った最後の記憶だった。
幸いにも従姉妹は結婚して他の地域に住んでいたので津波に遭うことはなく無事だったらしい。
あまり会う機会がなかった叔母だけど、あの津波被害に遭ったと聞くと、やはり悲しくなる。
本当に大事な家族や親しかった友人が被害に遭ったらどんなに辛くて悲しいか考えただけで涙が出そうになる。
あれから6年も経つけど、まだそんなに経ったという実感はない。
6年目の東日本大震災。
3月11日は手を合わせて祈ろうと思う。
神様は聞いてくれるかわからないけど、でも祈らずにはいられない。
犠牲になった方々のご冥福と残された大切なご家族や友人達の幸せを•••
もちろん他の震災で被害に遭われた方々
のことも•••
たとえ天涯孤独だったとしても、大切な命に変わりない。
これ以上、大切な命が失われませんように。
心からそう願っている。