何とかいつもの日常生活に戻れたけど•••
去年の年末に突如として起きた漏水問題。
やっと修理が終わり、元の部屋での生活に戻った。
今回の問題で、私達夫婦は精神的にも肉体的にもヘトヘトになり、しばらく再起不能?状態になってました。
まずは必要なものを借りの住まいになる部屋に運んだりして体力消耗してしまい、家具や家電で大き過ぎて運べなかったものを新たに購入することになり余計な出費が出てしまった。
数日間は冷蔵庫の物や食器などをその都度運んだりしていたけど、あまりにも能率悪く置いておくと子供達がイタズラして危険なため、結局リサイクルショップ巡りをして小さめの棚や冷蔵庫を買うことにした。
只でさえ子供達が体調を崩している時だったので疲労MAX(T-T)
正月が終わり、子供達が保育園に行けるようになってから精神的に楽にはなったけど、とてもつらかった。
主人の話だと今回のことで、例えうちには過失がなくても家が使っている配管が問題なのでどうしてもうちが悪いみたいになるらしい。
幸い賃貸なので修理とか賠償とかは大家さんの保険で何とかなるらしいけど、マンションとかの集合住宅って、結構リスクあるんだなとつくづく思った。
賃貸だと保険は入らされるけど、分譲マンションとかだと忘れたり面倒くさがって更新しないなんてことないようにしないと。
マンションの規約?とかにもよるみたいだけど、万が一修理や賠償しないといけなくなったら怖いと思った。
やっと落ち着き安心していたのも束の間、子供達がまた風邪を引いてしまい私自身も子供達の風邪をもらって高熱が出て今まで経験したことの無いほどの喉の痛みと咳で苦しめられることに•••
娘は体調が悪いと常に抱っこしていないとだめな為、ただでさえ高熱が出て辛いのにとんでもない苦行をさせられる状態に•••(T^T)
そして子供達が回復して私自身少し休めるかと思ったら、またもや息子の体調が•••
今流行りの恐怖のインフルエンザに•••(T.T)
我が家に平穏が訪れるのはいつになることやら。
皆さんも体調とインフルエンザには気をつけてくださいね。
今年一年を振り返って
気づけば今年も残り僅か。
今年はいろんなことがあった。
子供達が保育園に入り、家族みんな溶連菌やアデノウイルスなどでダウンした。
子供達がやっと回復して保育園も通えるようになったけど、寒くなってくるとまた体調を崩しだした。
12月に入ってからはお世話になった方の訃報を知り、現地に行ったりした。
今年は今まで以上に大変だった。子供達の看病でいっぱいで眠れなかったし、主人も動けなくなる程症状が悪化して暴れたくなるぐらい大変だった。
今年も残り僅かな今、また子供達が風邪を引いてしまい今年はもうこれ以上悪いことは起きないよねなんて主人と話をしていたら突然のインターホン。
「すみません、下に住んでいる者ですけど、台所の水漏れてませんか?上から水が漏れているんですけど•••」(・_・;)
調べても我が家の台所は漏れている所もなくて水をこぼした覚えもない。
大家さんと業者がきてうちの台所の床剥がして調べても原因が分からず•••
業者さん曰わくもう年末で修理に必要な材料とか発注出来ないのでどっちにしても来年にならないと動けないらしい•••
とりあえず我が家の水道と下水使用禁止になり、大家さんから他の空いている部屋を直るまで使って欲しいと言われ、一時的な引っ越しをすることになった。
ただでさえ忙しい年末で子供達も風邪気味なのに、主人も私も疲労がMAXだよ(T-T)
これが最後の厄で来年から良くなっていくといいな•••
いつもこのブログを読んで下さりありがとうございます。
皆さんの来年の年が今年良くなかった人はいい年に。今年はどっちでもなかった人または良かった人は更にいい年になりますように•••
お世話になった方との別れ
最近の子供達は季節のせいか、またよく体調を崩すようになった。
そして子供達が元気になってきたころ、訃報の知らせが舞い込んできた。
主人が以前に勤めていた会社の近くのお店の方で主人がすごくお世話になった方が亡くなられたとのこと。
主人はその方のお店でお弁当を買ったりしながらよく世間話をしたりしていたそう。
そのお店の方はよく主人を気にかけてくれたり車が必要になった時に業者の方を紹介してくれたりとかなりお世話になった。
息子が生まれてから二度ほど会う機会があり、息子をとても可愛がってくれてお菓子をくれたり息子もとても喜んでいた。
だけど私が妊娠、娘が産まれてからはなかなか行く機会がなくなってしまい、またここ半年近く電話も出来なかった。
そして手紙だけでもと送ったら身内の方から電話が来てその方が亡くなったことを知らされた。
病気で病院に行った時には手遅れであっという間だったそう•••
主人は特にショックを受け、自分の母親が亡くなったのと同じぐらいショックだとすごく落ち込んでいた。
もう既に葬儀なども終わっていてお店も他の方に譲っているということだった。
主人とその日1日話し合い、急遽行くことにした。残念ながら墓参りもお線香をあげるのも、身内の方との都合が合わないので出来ないけどお店の方に行って密かに手を合わせてこようということになった。
寒い地方なのでこれから先は雪で大変になるし、来年暖かくなる頃は何かと忙しくなるので今しかなかった。
息子はおばあちゃんの所に行くのを喜んでいたけど、死んでしまったことの説明をしてもまだ理解は出来ないみたいだった。
現地に行って、まずお店に行ってみた。
お店の名前も雰囲気も変わってしまっていた。
全然変わってしまった店内を娘を抱っこしながら歩いていると、何となくその方がそばに来て話しかけて来ているような映像が頭に浮かんできて涙が出そうになった。
結構その方は私達のことを気にかけてくれた。
娘が産まれた時もお祝いを贈ってくれた。
色々と気にかけてくれたのに私達は何も出来なかった。
せめてもう少し早く連絡していればと主人も私も後悔している。
息子はその方をおばあちゃんと呼んでいてよく、おばあちゃんの所に行きたいと行っていた。
今回行ったことで、死んだことは理解出来なくてももう会えないということは分かな?
今度はおばあちゃんの所に住みたいと言い出した。
住むことは出来ないけど、また行く機会を出来るだけ作ろうと思う。
最後におばさん、色々お世話になったのに何も出来なくてごめんなさい。
今まで本当にありがとうm(_ _)m
心からご冥福をお祈りします。
運動会で•••それと先生達に感謝
先日、子供達の運動会があった。
私達は用事があり、途中から見る形になった。
娘の出番が残念ながら少なく、既に終わってしまっていて見れなかった。
息子のは少し見れたけど、息子は何故かしがみついているような感じで先生のそばにいた。
一人の先生が鬼になってみんなを追い掛ける鬼ごっこ?みたいなのをやっていたけど、みんなが騒ぎながら逃げる中、息子は先生のそばを離れずに鬼がそばに来るたびに先生にしがみついて鬼が通り過ぎると離れるを繰り返していた。
他の子はみんな元気に走って逃げていたけど、息子は先生のそばだと安全?だと気づいたのか?または単に怖がりで先生のそばに居たいだけなのか(^_^;)
その様子を見て、主人は大爆笑。
よく見ると他の先生のところにも先生にしがみついている子がもう一人いて、私はうちの子だけじゃなかったとほっとしていた。
次はダンスで、踊るのが好きな息子は先生から離れて元気に踊っていた。
他の子に比べると凄く下手な踊りだけど、元気に楽しそうに踊っている息子を見て安心した。
家では見られない息子の姿を見れて途中からだったけど見れてよかった。
先生達は大変だと思う。数人で多くの子供達を遊ばせる時もこのようなイベントやる時でも怪我をしないように注意して見ていたり教えながら考えながらやってくれている。
以前息子が保育園の門を誰かが開けた瞬間に息子が外に出ようとしたことがあって先生が慌てて捕まえた時があった。
その話を聞いた時に息子は発達障害を見てもらった時に危険性が分からないようなことも言われたのを思い出した。
保育園の前の道路はよく車が通る道路で場合によってはとんでもない事故になるところだった。
大勢の子供達を見ながら息子のそういう行動に気づいて止めてくれた先生には本当に感謝。
昔、幼稚園や保育園の先生は子供と遊んでお金もらえていいねなんて言ってた人がいたけど子供達を預かるのって遊ぶだけじゃなくて注意したり世話したりすごく大変じゃないかと改めて思った。
少なくとも、子供2人で発狂したくなるほどの限界を感じている私には無理だ•••
先生達には本当に感謝しかない。いい先生達に恵まれたと思う。
本当にどうもありがとうm(_ _)m
息子の何気ない一言
子供達と遊んでいた時、息子が突然こんなことを言い出した。
「妹ちゃんが妹で良かった。妹ちゃんかわいい」
突然言い出したのでびっくり!
最近よくケンカすることも多かったので、まさかそんな言葉を言うとは思わなかった。
考えてみると、ケンカが多かったけれど結構息子は積極的に娘と遊んであげたりしていた。
娘が体調不良の時も心配しているような言葉も言ってたりしたっけ•••
親としてはとても嬉しい言葉で少し前まで言葉が極端に少なくて悩んだけど、こんなことも言えるようになったのかと凄く成長を実感した。
このまま妹思いの優しい子でいて欲しいし、娘もお兄ちゃん思いになって欲しい。
成長過程で色々ケンカになったり、相手のことが嫌になることも出てくるかもしれない。
たった2人だけの兄妹だから、出来ればそれらを乗り越えて仲良くしていって欲しい。
もし、私達親が2人とも死んでしまったら兄妹だけで生きて行かなくてはならない。
もし、私のほうの親戚親戚付き合いをしたとしても子供達にとってどう考えてもマイナスしかないのは目に見える。
私自身の知的障害が分かったのが娘が生まれたあとでよかったかもしれない。
もし、娘が生まれる前だったら次の子に遺伝するかもしれないと慎重になっていたかも•••
どっちにしろ、年齢や今の子育ての余裕の無さを考えたら次の兄弟は無理なんだけど( >_<)
どうか、将来子供達の未来が明るく幸せでありますように•••
そう私は願っている。
知的障害者って騙されやすい?
知的障害者は人に騙されやすいと聞いた。
確かに自分を振り返ってみるとそうかもしれない。
私は相手が何を考えているのかとか、相手の行動とかで良からぬことをしていても読むことは出来なかった。
なので相手が私に何か良からぬことを考えていても普通の人なら分かるようなことも分からず、辛い思いもした。
幸い子供の頃は親や兄弟、周囲の人が「あの人何か変だから気をつけたほうがいいよ」とか言って教えてくれたりしたので酷く騙されたりとかはなかった。
でも、恋愛関係ではここでは書けないぐらいにひどい目にあった。
それからはやはり人を信じ過ぎないように気をつけた。
とりあえず私は一旦、人を疑って考える癖をつけた。
例えば、仲のいい人でも何かお金が絡むような誘いがあった場合にまず、この話は大丈夫かとか考えることにしている。
でも、やはり私は考える力が人より少ないのでしつこい位に考えても結局は変な方向に行ってしまう。
危険を予知する力は就職してから会社でやった危険予知訓練(例えば、カッターを持って作業をしている絵を見せられてその中にどんな危険があるか考える訓練)が結構役に立った。
あれは日常生活の中でも考えながら行動することがある程度できるようになったと思う。
私は人の話を聞いていると、話が少しでも長くなると話の内容がプツンと分からなくなる。
集中力がないせいか別のほうに意識が行ってしまったり違うことを考えてしまう。
なので、大切な話とかはもう一度聞き返したりする羽目になる。
ただ、愚痴などを聞いたりする時はもろに聞いてると何故か体調が悪くなるときがあるので集中力の無さに感謝を感じる時がある。
愚痴吐きたい人はその状態でも聞いてくれるのが嬉しいみたいで最後はすっきりして帰っていく。
良いのか悪いのか•••(^_^;)
そんな状態でも話を聞いていると段々とその話を信じてしまう時がある。
普通なら疑いながらいろんなパターンを考えたりするのかもしれないけど、考える力があまり無いせいか、段々といいほうのイメージしか思い描くことしか出来なくなってきてしまう。
なので、私はまずセ-ルスなど知らない人が訪ねてきた場合はどんなに話が聞き取りづらくてもドアを開けずに対応する事にした。
若い時たまたま出会って話をしたおばさんと新聞の勧誘がしつこいという話になり「いちいちドアを開けないではっきりうちはとりませんって言ってご苦労さまって最後にいいなさい。ご苦労様って一言を言ってあげると相手はだいたいそれ以上しつこく出来なくなるから」そう教えてくれた。
私は早速それを実行したら効果てきめんであんなにしつこい勧誘がすぐに帰るようになった。
あのおばさんに本当に感謝m(_ _)m
その方法は今でもやっていて最近は宗教関係が多く、来たらはっきり宗教はお断りしてます。ご苦労様とドア越しに言って奥に引っ込んでいる。うちのマンションはインタ-ホンが無いので不便だな(・_・;)
私自身の中にはセ-ルスの人は生活もかかっているし、宗教の人は少しでもその宗教での教えを広めて世の中をよくしようとか考えてやっているのだから話ぐらい聞いてあげないととか思って罪悪感みたいなものがあったりするけど、でも自分自身の身を守るには話を聞く前にシャットアウトするしかない。
話を聞いてしまうと断れなくなってしまい自分が苦しむことになる。
今は家族がいて余計に守らなくてはならないので心を鬼にして対応している。
結局考える力が人より無いからその話や行動が正しいとかそうなのかもとか思ってしまう。
個人差はあるかもだけど知的障害の人が騙されたり、犯罪に巻き込まれるのは考える力が劣っていたり信じやすかったりするから尚更なのかな•••
知的障害や発達障害の方々や皆さんが騙されたり犯罪に巻き込まれたりしませんように•••
療育手帳は貰えない?
先日、療育手帳について話を聞きに市役所に行ってみた。
やはり大人になってからの療育手帳を発行して貰うには、色々と大変らしい。
まず、小さい頃からの通知表を集めたり、なければ子供の頃の関係者(親?)などの聞き取りなど、かなり面倒になる。
私は親とは色々あって疎遠になっているので、どうしても発行してもらうには親に連絡を取って頭を下げてお願いしなくてはならない。
主人と話し合いした結果、無理してそこまでして作る必要はないのでこのまま疎遠の状態でいようということになった。
何だか主人も私の親に対してあまりいい感じには思っていないみたい•••
市役所で話を聞いて思ったことは大人になり、更に年をとってしまうとますます療育手帳の取得は難しくなるということを実感した。
今回私は親との関係を考えて取得は諦めた。
でも思ったのは若い時だったらまだ親も生きていて、もしかしたら通知表なども残っている可能性もあるし、学校の先生とかもまだ何人か近くにいたりして当時の話も聞くことが出来るかもしれない。
でも、年齢が上がればあがるほど親が亡くなったり生きていてもひどい認知症などで聞き取りなどができなくなり、小さい頃の自分のことを知っている人がいなくなってくる。
やはり大人になってからの知的障害判定は全体的に不利だと思った。
小さい頃から知的障害が分かっていれば療育手帳を貰い、必要なサ-ビスや支援を受けることが出来る。
でも、大人になってから発覚して小さい頃からの知的障害が証明出来ないと療育手帳は貰えないし、障害年金も該当していても貰うことが出来ない。
本来障害年金に該当する人が貰えないで、仕事が上手く出来なくて年金を払うことが出来なくなり、滞納してしまって年をとってからも苦しむというとんでもないこともになる。
そう考えてしまうと、やはり療育手帳に該当する人は貰っておいたほうがいいと思った。
親の中には子供に障害者の烙印押すみたいで嫌だと言ってそういったことの診断や手続きを嫌がる人がいると聞く。
でも、それって子供の為になるのかな•••
周りに知られたくなければ療育手帳を貰っていることを言わなければいいし、療育手帳も更新だけして必要な時以外はしまっておけばいいと思う。
私が今まで生きて来て思ったことは例え療育手帳を貰ってなくても行動や態度などで周りはこの人おかしいと気付かれてしまう。
知的障害だと公表したほうがいいか、わからない状態がいいのかは私にもわからないけど、ただやはり脳の機能の問題だからか普通の人とは違うと周りは何となくわかるみたい。
結局周りからは変わった人、変な人扱いされて辛い思いをする。
小さい頃は親が色々助けてあげられるけど、大人になれば嫌でも自立しないといけない。
私も親として、なるべく子供の将来の為になると思うことは出来るだけやっておこうと思う。