子供が風邪
最近、気温差が激しいせいか娘がよく風邪をひく。
息子はあまり風邪をひくことはない。
年末にインフルエンザにかかって家族全員に移したぐらい?だった。
それに比べて娘はよく体調を崩す。
最近は熱が出ても元気に動きまわるので、気づかずに抱っこして初めて体の熱さでびっくりすることが多くなった。
まだ赤ちゃんだから免疫ないからなのかも知れないけど、本当に大変(^_^;)
そのたびに病院に連れて行って薬貰って飲ませるけど、最近は薬を嫌がるようになってしまった。
薬を飲ませるだけでも大変(^_^;
食べ物や飲みものに混ぜても駄目だし、仕方ないから寝かせて気を逸らしながらスポイトで口の中に少しずつ流し入れてみたり•••
それだけでも疲れてしまい、夜も何度も起こされて辛い。
でも、一番辛いのは体調不良をおこしている娘。
とにかく今は頑張ろう。
自由な時間
先日、主人がベビーシッタ-
さんを頼んでくれた。
今回は特に用事があるわけではないけど、たまにはお互い息抜きしようと提案してくれたので久しぶりに外出する事にした。
シッタ-さんと子供の様子や下の子のミルクのことなど、必要なことを話して後をお願いし、主人と一緒に家を出た。
主人は別に行きたいところがあるということで別行動に。
私は図書館へ行ってみたり、喫茶店でコ-ヒ-を飲みながらボ-っとしてみたり•••
こんなにのんびりできたのは本当に久しぶりだった。
上の子が産まれてからこんなにのんびりしたことがなかった。
息子が産まれた時から娘が産まれるまでのことが頭の中で蘇ってきた。
あんなこともあった、こんなこともあったなとかいろんなことを思い出した。
特に娘が産まれてからは過去を振り返る余裕はほとんどなかったな•••
おかげで1日のんびり過ごせ、すごく気晴らしができた。
本当に主人には感謝m(_ _)m
主人と合流して買い物したあと家に帰った。
息子はシッタ-さんと作ったものを
見せてくれた。
シッタ-さんはその日のふたりの様子を教えてくれた。
心配していた娘はいつものように人見知りのため、しばらく泣いていたけど、数分で泣き止み、一緒に遊び出したらしい。
その他こんな遊びをしましたとか、その時の様子を教えてくれた。
このベビーシッタ-さんにお願いするようになってから、息子は変わってきたと思う。
おしゃべりが多くなったり、あと他の子供達がいると嫌がって遊具に近づくことはなかったのに、今は他の子供達がいても大丈夫になってきた。
前回お願いしたときに息子に他の子供達が近づいてきたときに上手くその子達との橋渡しをしてくれたらしい。
私が、やってみても思うようにできなかったことを
それを上手くやってくれた。
本当にこのベビーシッタ-さんに巡りあえて良かったと思う。
本当に感謝ですm(__)m
そしてのんびり過ごす時間をくれた主人にも心からありがとう。
福島第一原発事故
あの時日本中が混乱していた。
ただでさえ津波で大勢の人が亡くなり、住む家や会社も流されて救助の人々が現地で必死に活動している時、原発事故のニュースが飛び込んできた。
正直、原発事故のニュースを見てもただ、大変だなぐらいにしか思っていなかった。
原発事故がどのようなものか、どれぐらい大変なことなのかよく分かっていなかったからだと思う。
原発事故のことはチェルノブイリでの事故を昔ニュースでみたけど、あまり気にもしてなかった。
事故が起きたあと、すぐに周辺の市町村の人々に避難指示が出て、大掛かりとなった。
私が思ったのはその時、津波で被害に遭った人達の救助は?捜索は?みんな避難しなければいけないのなら、捜索隊の人達も当然•••
そのことがまず頭に浮かび、私自身パニックになった。
まだ生きていて助けを待っている人もいるかもしれないのに助けられないの?
もちろんそれだけではなかった。
その後、セシウムの影響で野菜などの作物なども放射線のレベルを計ってからではないと出荷出来なかったり、基準を超えてしまったら全部破棄されてしまう。
世界では干ばつなどで食べるものもほとんどなかったり、飲み水の確保も大変だったりする国もある。
その人達が日本のそういう状況を知ったらどうおもうのか?
日本は水も豊富にあり、作物も天候に若干左右されたりしても収穫出来る。
なのに事故が起きたら大変なことになるのを分かっているはずなのにそういうものを作り、普通だったら食べれるはずのものを捨てなくてはならなくなる
ようにしてしまったのだから。
私はそれがすごく衝撃的だった。
動物達も、避難のために置いていかれて過酷な状況のなか、必死で生きている映像も見た。
みんな人間の犠牲だと思った。
そして避難者に対するいじめ。
正直バカらしいと思った。そして情けないと思った。
避難者は東電から賠償金をいっぱい貰っているとか言ってお金をまきあげ?たり、大人の世界でも給料を上げなかったり、しまいには放射能が移る?
私ら障害者よりあんたたちのほうが余程おかしいじゃないと思ってしまうぐらい怒りがおさまらなかった。
賠償金を貰っているのは一部の人だし、自主避難している人は多少家賃補助とかあっても、貰っていないと聞いている。
たとえ賠償金をもらっていても、避難者がどういう気持ちで長年住んでいた場所を離れなければいけなかったか、どういう気持ちで慣れない土地で生活しているか考えたら、差別したりいじめたりはできないと思う。
中には家族バラバラに生活しなくてはならない人達もいると聞いている。
放射能が移るとか大人の人でも差別する人がいると聞いたが、よく病院でレントゲンとか撮ったりするときに浴びているのでは?
あれもレントゲン撮った人に近づいたり触れたりしたら移るのか?頭の悪い私は当時、本気で考え込んでしまった。
高濃度の汚染物質を所持していれば、多少影響あるかもだけど、少なくとも避難者がそんなものを持ち歩くとは考えられないし、周りに影響あるものを持っていたらまず、その人自身被爆の影響でおかしくなると思う。
そもそも触れただけで移る位の被爆をしていたら、避難者本人は普通に生活出来るの?生きていられるのか?
いろんな思いが浮かんできた。
いま私達は電気のおかげで便利で豊かな生活をおくれている。
でも、ひとたび事故が起きてしまうと命や健康不安、その他いろんなリスクを遥か先まで背負わないといけなくなることをわすれてはならないと思った。
それに、原発はあちこちにある。
どこでどんな事故が起きてもおかしくないと思う。
変なことを考えている人が同時テロを起こさないとは限らない。
当然どこまで汚染されるかわからない。
そうなったら、自分は大丈夫とは思えない。明日は我が身という言葉がある。
どうか、原発事故の避難者の方々が今後落ち着いた幸せな生活が送れますように。
ふるさとに帰りたいと願う人が何の心配もすることなく、ふるさとに帰って生活することができるようになりますように。
原発事故が原因の健康被害が出ず、健康に暮らしていけますように。
心からそう願ってます。
東日本大震災
もうすぐ東日本大震災があって6年になる。
日本中が大きく揺れたその日、私は買い物をするために外出していた。
買い物を済ませての帰り道で地震に遭遇した。
急に揺れ出して何がおきたか分からず、最初は自分の身体がおかしくなった?そう思った。
でも周りの電信柱とかが激しく揺れているのを見て、地震だと気づいた。
そして、次々に建物や住宅から人々が飛び出してきた。
揺れがおさまり、建物から飛び出してきた人々が建物の中に戻るのを見ながら私も歩き始めた。
少し歩いたところでまた大きな揺れ•••
揺れがおさまってから急いで家に帰った。
部屋の中を確認すると、幸いにもほとんど被害はなかった。
当時は子供達はまだ生まれていなかったので、大した荷物や家具もなかったから。
その後すぐに主人が帰宅して2人でテレビを見ていた。
ヘルメットをかぶったキャスターの人達が一生懸命地震のニュースを伝えていた。
そして、津波が発生したというニュースが流れた。
やがて町が壊滅状態のようなニュースも流れた。
壊滅状態と言われても、正直ピンとこなかった。次の日惨状の映像を見るまで。
私は毎年3月11日が近づくと当時のことを思い出す。
記憶が少し変わっていたりするかもしれないけど、それだけインパクトが強い出来事で、尚且つ小学校の時以来会ってはいないけど、叔母にあたる人が津波に飲まれて亡くなった。
その状況を知ったのは震災から一年近くたって、たまたま叔母の知り合いに会って知った。
新聞で被害者の名前の欄に叔母らしい人の名前があり、気にはなっていた。
連絡先とかが分からず、親とは縁切りしていたため、確認出来なかった。
小学生の時、叔母にも私と年が近い子供がいて、海で一緒に海水浴に行った。
従姉妹と海で遊んで砂浜に戻り、お弁当を広げて食べた。
その時叔母に、おにぎりを貰って食べた。
その記憶が叔母と会った最後の記憶だった。
幸いにも従姉妹は結婚して他の地域に住んでいたので津波に遭うことはなく無事だったらしい。
あまり会う機会がなかった叔母だけど、あの津波被害に遭ったと聞くと、やはり悲しくなる。
本当に大事な家族や親しかった友人が被害に遭ったらどんなに辛くて悲しいか考えただけで涙が出そうになる。
あれから6年も経つけど、まだそんなに経ったという実感はない。
6年目の東日本大震災。
3月11日は手を合わせて祈ろうと思う。
神様は聞いてくれるかわからないけど、でも祈らずにはいられない。
犠牲になった方々のご冥福と残された大切なご家族や友人達の幸せを•••
もちろん他の震災で被害に遭われた方々
のことも•••
たとえ天涯孤独だったとしても、大切な命に変わりない。
これ以上、大切な命が失われませんように。
心からそう願っている。
市のサポート
うちには時々、市役所の人が訪ねてきてくれる。
子育てで相談に乗って貰ったり、いろんな情報を教えてくれたりする。
下の子を妊娠中にお願いする事に決めた。
私も主人も身内が無く、唯一親しくしている友人は独身で子供がいないので子育てのことで、相談する人がいない為だった。
時々様子を見に訪ねてきてくれてとても助かっている。
わが家のサポートをしてくれている職員の方々には本当に感謝している。
特に予防接種の次に受ける時の時期がわかりずらかったりして良く教えてもらったりする。
息子が自閉症で、子育てが思うように行かず私達はノイローゼになった。
そんな私達を心配して発達障害の子が通える学校を調べてくれたり、訪問して様子を見に来てくれたりした。
学校の方は入るのは条件的に難しくて無理だったけど、発達障害の子を受け入れてくれる保育園を勧めてくれた。
保育園に関しては子供が亡くなる事故のニュースを気にしている主人にいろんな説明して説得してくれた。
そして一時的ではあるけど、子供を入園させることが出来ることになった。
自閉症の子を育てるのは難しく、何らかの周りのサポートがないと難しいと思う。
特に私は軽度の知的障害なので、なおさら独りで子供を育てていくのは困難に近いかも•••
いろんなサポートをしてくれている職員の方々には本当に感謝m(_ _)m
本当に有り難うございますm(__)m
予防接種に行ってきた。
先日子供達の予防接種に行ってきた。
娘は数ヶ月前にやっていて、息子はかなり前に受けたきりだった。
初めて2人同時にやることになり、予約時間より少し早めにクリニックへ行った。
クリニックに着くとすぐにやって貰えることになり、娘から先にやることになった。
娘は雰囲気で察したのか、やる前からギャン泣きで看護婦さんと一緒に押さえていないと大変だった。
息子はそんな妹を見て「妹ちゃん、大丈夫だよ。がんばって」舌足らずな話し方だったけど、そのように言いながらそばで励ましてくれていた。
私は何で息子は今回は余裕何だろう?と思っていた。
娘が終わると息子は診察室から出て行こうとしたので、「息子、次はお前も注射するんだよ」慌ててそう言って止めた。
息子(゚◇゚)ガーン「ヤダー帰る!注射やだ!」
そう言って騒ぎ出した。
息子よ、わたし昨日言ったよね?今日2人とも注射だからねって。
その前の日も言ったよね?さすがに今日は緊張させると良くないと思って病院行くよとしか言わなかったけど•••
どうやら息子はいつものように、妹の付き添いとしか思ってなかったみたい。
不意打ちを食らったおかげ?なのか、今回は泣くことはなく、無事に終了した。
息子はしばらく「痛いよ!」(*`Д´*)って怒っていたけど、予防接種のことは言ったよ。
そう言えば注射のことを言った時、「痛いからやだ」とは言っていたけど、本気で嫌がってなかった。
どちらかというと、冗談で言われたような感じでとらえているような•••
娘は予防接種が多い時期なので、自分は付き添いで関係ないと思ってしまったのか•••••
でも、ちょっと前は妹を見てるだけだったのに、今回は妹を一生懸命励まそうとしていた。
成長を感じることが出来て母は嬉しかったよ。
不意打ちくらわせちゃってごめんよ(T-T)
自閉症の子と母親が出演したテレビを見て
昨日の自閉症の子と母親の番組を見た。
うちの子も自閉症でテレビに出ていた子と同じだと思った。
すぐに大声を出したり、こだわったりコミュニケーションがとれなかったり•••
うちの息子は3歳まで、全くと言っていいほど喋れなかった。
5歳になる今では時々宇宙語ではあるけど、かなりおしゃべりになった。
ただ、会話がほとんど成り立たないし、挨拶やお礼など、いくら教えても言葉が出ない。
公園に行っても、遊具で他の子がいると遊ぶのを嫌がったりした。
自閉症の子を育てるのは本当に大変だと思う。
息子は何度同じことを注意しても駄目で収まるどころか、ますますヒ-トアップする。
あまりにも騒いだりするので賃貸に住んでいる我が家はご近所に迷惑をかけていないか常にハラハラしていた。
また、電車やバスなどの乗り物に乗っていても大声で喋ろうとしたりじっとしていない時もあり、その都度注意するけど治らず。主人と私はノイローゼになった。
普通の子はその都度、注意していけば少なくとも公共の場所で騒がなくなったり騒いでも注意すれば大人しくなるかもしれない。
でも、自閉症のうちの子はそれをやっても難しい。
それでも、放置はしないようにその都度注意するようにしている。
いつかは分かってくれる。治まってくると思って•••
テレビに出ていたお母さんは凄く頑張っていると思う。
頑張り過ぎてひとりで抱え込んでしまっているような気がする。
自閉症のことを周りに話しても話さなくても、それぞれいろんなメリットやデメリットがある。
周りの協力を得るには自閉症のことを話さないといけない。
話さないと、ますます自分ひとりで抱え込まなくてはいけなくなる。
どうしても辛くなってしまったら周りの人に相談して助けて貰って欲しい。
友人の中には離れてしまったり、ご近所の中には噂のネタにしようとする人もいるかもしれないけど、その程度の人だったんだと思って気にしないで頑張って欲しい。
中には本当に自分のことを考えてくれて思うように協力できなくても、情報を調べてくれたりとか、何らかの形で協力してくれる人もいるはず。
それだけでも凄く励みになる。
何とか自閉症のことを理解してくれる人が増えて欲しい。そしてそういう障害を持つ子のご家族が、何とか頑張ってその子を育てていけるようになって欲しい。
心からそう思う。